【虐待を受けてきた私の幼少期日記④】

前回までのあらすじ〜


私はお祖父ちゃん宅によく預けられるようになり、
(アレルギー紫斑病)という病気にかかってしまう。


アレルギーの原因となるものの特定に時間がかかり
病状が悪化。
入院生活が始まる。

そんな中、親戚が急に私に会いに来るように。


そこで私は自分の寿命が短いのではないかと
思うようになる…



とここまでが前回までのあらすじです。
・ 







私は誰からも自分があとどのくらい
「生きられるのか」
と言う事を聞かされてはいなかった。


しかし、周りの反応がかなり
不自然な事に子供ながらにも
気付いていた。


そして、母親と私の二人で
私の担当をしている先生と話をするという事になった。


母親は明らかに取り乱しているように
見えた。


そして、少し重い空気の中

先生から直接余命宣告をされる事になった。


「君はこのまま回復が見込まれなければ
小学生には上がれないかもしれない。」と。


はっきりとは覚えていないが、 
こんなニュアンスだった、と思う、、、



正直、勘付いてはいた。
でもいざはっきりと先生から
言われると


「これは現実なのかな…
     それともずっと夢の中にいるの?」

 
と、当時の私は
余命宣告を受け入れる事が出来なかった…



頭の中が真っ白で、
【死ぬのが怖い】というよりは
ただ何も考えられずにボーッとして
毎日を過ごすようになる。



死ぬのは正直

(怖いというよりは、これで悲しい毎日から
          開放されるんじゃないかな)

という考えだった。


母親は私という
邪魔者が居なくなれば
幸せになれる。 


私も母親からの暴力に苦しんだり、
悲しんだりしなくていいんだ。


【それはお互いにとって幸せな事なのでは?】



と考えるようになった。


今思うと、
とても可哀想な死の受け入れ方だったと
自分でも思う。


だが私は、毎日治療を受けつつ、
死を切望するようになる。



しかし私の願いは叶わなかった。


無事に病院の方々によって
私は助けて頂けたのだ。


命があるのはとても
素晴らしい事のはずなのに、
どこかで
《死ぬ事を望んでいたのにどうして…》
と思う自分も居たのだ。


そしてしばらくは安静にするようにと
お祖父ちゃん宅にて
私がまた病気にかからないよう
面倒を見てもらう事になる。    



この時まだ私のアレルギーが
何なのかは分かっていなかったから。


母親は
私が余命宣告をされてからは
少し優しくなった気がする。


まだ確実に治っていない事から
周りの人も前より
優しくなった。


私が死ぬかもしれないという
可能性が残っているから。


お祖父ちゃんとお祖母ちゃんだけは
前と変わらず、
同じように接してくれたし、
悪い事をすれば本気で叱ってくれた。
(暴力は一切無かった。)


この二人が居たから今の私が
居るのだなと心の底から思う。


そしてお祖父ちゃん宅に
預けられるようになってから
数カ月が経った頃、 
また私は病気が《再発》してしまう。


その時は一日入院で済んだ。

この時、原因も判明した。

《生魚》だったのだ。


元々お寿司は食べれなかったが、
お祖父ちゃんの身内から
いくらが送られてきて 
それを食べたあと《再発》したからだ。
  


「美味しいから」と言われて食べると
次の日痣が両脚に…

でも原因が分かって良かったのかもしれない。


これを機に私は
再発しなくなった。


私はこの時
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんから
(自分は愛されているんだ)
と感じるようになっていたので
原因がやっと分かって嬉しかった。



子供にとって【愛情】は 
とても大切なものだ。



どんなに裕福でも愛情が
欠如していたら
心のどこかに穴が空いてしまう。

それを埋める為に非行に
走る人もいるだろう。


私は母親からの
暴力は相変わらず
あったのだが、他の人が母親の分まで
愛情を注いでくれた。


だから今の私があるんだなと
心底思う。




 


最後まで読んで頂きありがとうございます!




次回もお楽しみに〜