【虐待を受けてきた私の幼少期日記⑤】

前回までのあらすじ〜



私はアレルギー紫斑病という
病気が一時的に良くなったので、

無事退院する事になる。
でもまだ原因が何なのか分からないので
お祖父ちゃん宅で気をつけながらの
生活が始まる。


そこでたまたま食べた(いくら)が
アレルギーの原因だと判明!

診断は《生魚》だ。


この療養期間も兼ねて
お祖父ちゃん宅に泊まっていた事は
私にとって
とても大切な事に気付かせてくれる。


それは《愛情》だった。


 


ここまでが前回までのあらすじです。







私はアレルギーの原因も
分かったことで
余命宣告よりも長く生きられる事になった。

  


退院した時は
(どうして死ねなかったんだ…)
と、思ってしまったが、


お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの3人で暮らしてみて


自分を凄く大切にしてくれる2人のお陰で

僅かではあるが、

精神的にも身体的にも前より楽になった気がする。



そんな中、 

原因も分かって、その食材を食べないよう気を付ければ


大丈夫になった為、また母親と2人の生活に戻った。



また同じ暴力と暴言に

苦しめられる事となった…



前と少し違うのは

母親が特定の男性と付き合い出したのだ。


この男性と付き合うようになってから

母親は私に
「この人があなたのパパになったらいいね〜♡」
と言ってきたのだ。


心の底から私は《嫌だ…》と思った。


何故なら、

この男性が毎日のように
家に入り浸るようになり、私はいつも寝室ではなく
居間で寝なければいけなかったからだ。


母親は相変わらず

《性行為》の声がでかくて私は眠れなかった。


そんなある日、いつものように

居間でテレビを大音量にして見ていたら、

母親が「痛い!!!やめて!お願いだから!」

と叫ぶような声が聞こえてきた。


何が起きているのか分からなかったが、
いつもの声では無い事は分かる。

私はどうしたのか気になり
部屋のふすまを開けた。
  

そこには裸の母親と男性が居た。


母親は凄く泣いていて、 
 
とっさに私は男の前に居た。


そこで男に向かって
「ママを虐めないで!」と言った。

 
次の瞬間、思い切り男にぶん殴られた。



あまりの痛さに震えが止まらなくなった。


その後の記憶はない。

 
起きたらもう朝だったのだ。



男は家にいなかった。

 

母親は私を抱きしめて、
「もうあの人とは別れたから」と言った。

 
゛あぁ、今は大事に思ってくれてるのかな゛

と思った。


しかし、母親からの暴力が無くなることは無かった…


そんな環境に育ったからだろうか。

私は《アンパンマン》にとても憧れを抱いた。


(私もアンパンマンの様に強くなりたい。)

(優しくて、誰からも好かれるヒーローになりたい)



心の中でいつも思っていた。


だからだろうか?

保育園ではとても人気者だった。

自分で言うのはなんだが、

凄く好かれる子供だったと思う。


常に周りに気を配っていた。
いじめられている子が居れば助けた。

でも、いじめを庇い続けていたら
私がいじめの標的になった。


しかし、私は母親以上に怖いものが無かったから
割となんとも思わずに普通にしていた。
 
いじめっ子達は面白く思わなかったのだろう。

すぐに虐められなくなった。


私は虐められていた子達のヒーローになった。

私が保育園を休む時はその子達も
保育園に来なくなった。


↑わざわざその子達の親が
今日は私が来るのかを電話で確認していたらしい。
 

それを保育園の先生が
私の母親に
「↑のような事がありまして、
私にはなるべく保育園に来て頂きたいんです💧」


と言っていたらしい。

 

それを母親は誇らしげに
色んな人に話していた。




最後まで読んで頂きありがとうございます!




次回もお楽しみに〜!